1 | アリスさんの妖怪の在り方 |
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00 | ちく ちく ちく 鮮やかなオレンジの布に針を通す。色やデザインが変われど、サイズは一緒なので基本構造も同じ。アリスの手は迷い無く動き、頭の中の完成図に近づけていった。 しかし完成図はころころと形を変える。ここをこうしたら、もっと可愛い。更にここをこうしたら?もっと素敵。だからこそアリスは図を書かない。頭の中で、リアルタイムに完成図を更新させていくからだ。 アリス・マーガトロイドは魔法の森にある、それなりに大きな洋館に一人住んでいる。そして館内は彼女の作り上げた人形が、それぞれ自分の意思を持ったかのように行動している。と言うのは、掃除やら洗濯やら、時間帯によっては食事の準備などだ。 館の主は大抵部屋にこもり、人形を作るなり魔法の研究をしている。 今は人形のドレスを作っているところだった。 夜も更け、月も頭上から傾く時間。アリスは黙々とドレスを作る。掌の中に収まってしまうほどの小さな布から、人の着るそれと代わらぬほどの大きさの布、またシルクや宝石等を使い本格的である。 彼女は一つの作品に決して手を抜く事は無い。彼女は作品全てが完璧で無くてはいけなかった。それがポリシーであり、全てのプライドをかけるに値する行為。 ちく ちく ちく やがてドレスは頭の中の最終完成図に近づいていく。派手すぎず、質素すぎず、アリスの最も好むタイプに。けれど決して完成に急がず、ペースを崩さない。変なところで、まして完成を目の前にして雑な事をするわけにはいかない。 そして最後の一針。 「出来た…!」 思い描いたものと全く同じ、完璧なドレス。アリスはそれを見て満足げに微笑む。 それと同時に部屋の扉が開いた。アリスは振り返らない。何が来たか知っているから。 コト、とテーブルに入れ立ての紅茶が置かれる。持ってきたのは一体の人形だ。彼女の特に気に入っている、上海人形。 「ありがとう、上海」 アリスは目を向けないが、上海人形はペコリと一礼し部屋を出て行った、はずだ。 この館に存在する、動く人形は全てアリスが操っている。もはや無意識のレベルまで熟練しているが、今の上海人形の一つ一つの動作も全てアリスが操作したものだ。 つまらない言い方をしてしまえば、今のアリスと上海人形のやり取りでさえ自作自演の”おままごと”に過ぎない。だから人形たちは彼女の予想に反する行動は絶対にしない。 彼女の求める「完全に自分の意思を持つ人形」はまだ完成していないのだ。 ある程度の事柄を人形に命令することは出来る。しかしこれは人形が動いているのではなく、人形を動かす魔法の糸の自動化である。魔法の糸を外してしまえば、人形はただの人形にしかならない。 先の見えない自分の目標に溜息を一つ、紅茶の入ったカップに口をつける。冷ます必要の無い適温、当然だ。そう作ってくるよう操作した。 カップを置き、一先ずは片付け。余った材料を次の作業の時に取り出しやすい位置に置き、裁縫道具をしまう。 「痛っ」 鋭い針がアリスの人差し指を突く。うっすらと血が滲み出る。 舐めとけば治る、針で指を刺してしまうのは割りとよくあることだった。それは毎回片付けるときであり、一晩中集中しっぱなしの作業をしているため眠気やらで頭がボウッとしているからなのだが、アリス本人はそれに気づかない。片付けていると絆創膏を見つけたので貼って置く。 机の上に紅茶の入ったカップだけが残ると、アリスの体は自然とベッドに向かう。疲れきった体の本能か、着替える事も忘れ布団を被った。目を閉じると、眠りにつくのは一瞬だった。 * * * 祭りになると、アリスは人形芸を見せに村に行く事がある。小さな子供から大人まで、割と人気はあるのだ。 ぬいぐるみや小さい人形等はすぐに売れてしまう。丁寧に作りこまれたアリスの作品は女の子に好まれた。 アリスも子供たちが笑ってくれれば嬉しい。 しかしある日、一人の女の子に言われた言葉が彼女の心を揺さぶった。 『お姉ちゃんもお人形さんみたい!』 それは、きっと褒めてくれたのだろう。 しかしアリスの心にはその言葉がずっと引っかかっていた。 ――私が、人形だったら? ――私が、自立する人形を作り上げるという目標を命令された”人形”だったら? 勿論アリスは自分の意思を持っている。 しかし、上海人形たちを見ると思ってしまう。 ――もし私が、上海のように操られていたとしたら ――もし自分の意思だと思っていたものが、他人の意思だとしたら 馬鹿げた考えであるのは重々承知であった。何と言ったって自分は元々人間である。今は魔法使いになり、人形を操る能力を得ているが、人の子なのである。 それでも一度浮かんだ不安は止まらない。 ――記憶を後付け出来るとしたら ――人間としてのアリス・マーガトロイドの記憶が後から焼き込まれたものだとしたら * * * 「おう、寝てたか?」 「……起きたわ」 「つまり寝てたんだな」 半開きになった扉の向こうには見慣れた不法侵入者がいた。 「もう…何よ、朝早くから…」 「お前の朝は遅いんだな」 壁に掛けられた時計を見ると正午を回ってこそいないが、十一時を示していた。 眠ったのが何時ごろか記憶には無いが寝すぎたかもしれないと思う。堂々と侵入を許してしまうほどに。 「睡眠なんて必要ないんじゃないのか?」 「習慣よ。夜更かしすると人間の時の記憶が関係してるのか、精神的に疲れるのよ」 「へぇ…夢とかも見るのか?」 「え……」 夢は見た。嫌な夢だった。いや、夢なのかどうか本当はわからない。 少し前の祭りの光景と、後は自分の思想が流れただけだから。 「…覚えてないわ」 「人間と大差ないな」 「いいじゃない、別に。それより今日は何の用なの?」 そうだ、忘れてた。と魔理沙は呟き、どう考えても忘れられる対象じゃない分厚い本をテーブルの上に置いた。 古そうな、というか古い本だった。テーブルに置かれた瞬間本の隙間隙間から埃が飛び出たのを若干不快に思いながらも、興味は沸く。 「それは?」 「本だぜ」 「知ってるわ。内容を聞いたの」 「わからん、ただ…」 「何よそれ」 「最後まで聞け。ただ、お前向きなのは確かだ」 言っている事を理解しきれず、首を傾げる。アリスは腰を降ろしたままだったベッドから立ち上がり、テーブルにつく。表紙は汚れてしまっていて読めなかった。 読んでみろって、と言う魔理沙の言葉に背を押され、本を開く。 「な…何これ…人体の解剖図…じゃ、無いわね。もしかして人形…?」 「多分な」 わかるのはほとんど絵だけだった。文字は何処の文字なのかすら検討もつかない。 人形の絵と人間の絵が淡々と続いている。文字は所々を修飾しているだけのようだ。絵だけでも大体何が言いたいかわかりそうな、そんな本。 「随分古いわね…こんなの何処で見つけたのよ」 「紅魔館だぜ」 「…え、これ盗品?」 「盗品なんて失礼な、ちゃんと借りてくって言ったぜ」 「…そ、そう」 本当かしら、アリスはそう小さく呟いた。 そこに丁度上海人形が緑茶を持って入ってきた。 「お、気がきくねぇ上海」 アリスは本から顔を上げなかった。上海人形は魔理沙に一礼し、部屋を出て行ったはずだ。 どうでもいい話になるが、魔理沙は未だに人形たち全てをアリスが操っていると信じていない。上海人形は上海人形と、アリスとは別の存在として見ている。 「ちょっと読ませて欲しいもんがあるんだ」 「どうぞ」 アリスの答えは上の空だった。本に書いてある事が少しだけわかってきた気がしたからだ。勿論魔理沙自身も聞いただけであり、どんな答えが返ってきても勝手に読む。 アリスが黙々と解読に励んでいると、魔理沙が一抱えの本を持って向かいに座った。魔理沙もまた黙々と自分の調べるべきことを調べている。 無言の時間が続いた。 少しだけ、書いてある事がわかった。わかってしまった。 それは自らを人形にする法。簡単に言えば、人間の魂を人形に移す法である。 ――この法を行えば自分の目標としているものは完成するかもしれない アリスは自分の考えが恐ろしくなり、体が小刻みに震え始めるのがわかった。 あくまで、”かもしれない”だ。確実に完成するとは限らない。しかし完成の見えない彼女にとって、それは暗闇の中で見つけたわずかな光でもあった。例えそのわずかな光が、暗闇以上に深い闇であったとしても。 (…わ、私は何を考えているんだろう) 必死でこの狂気じみた考えを打ち消そうとする。しかし体は全く動かなかった。その指先を除いては。 人形の定義とは何か?それは、人の形をした人ならざるモノ。より人間に近づいたモノこそが、至高の人形。ならば…… 人間を材料とした人形こそ、人形遣いたるアリス・マーガトロイドの求めるモノなのでは無いか? ――違う!私が求めるのは、自分の意思で動く人形。人間を使った人形なんて欲しくない! 必死にそう思っても、アリスの指先は動きを止めなかった。魔法の糸を編む動きを。 すでにかなりの量が作られている。人形遣いとして一番慣れた作業でもあったからだ。作り上げた魔法の糸を全て使えば、かなり大きな人形でも思いのままに操れるだろう。 例えば、人間ほどの大きさの人形でも。 ――止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ! こんな心理状態でも、体の覚えた製糸作業は雑さの無い精密なものを作り上げていく。 これをどうしようと言うのだろう。これで何をしようと言うのだろう。これを全部使わないと動かせないような人形、家には無いと言うのに。 ―無い? ―あるじゃないか、 ―目の前に。 アリスは怖くて視線を上げることが出来なかった。そこにいるはずの魔理沙を確認するのが怖かった。 本に書かれた法で魔理沙から魂を抜いて、抜け殻になった体をこの糸で括れば最高の人形が出来る?さらに別の人形に魔理沙の魂を入れれば、自分の意思を持つ人形が出来る? 吐き気がした。最悪の気分だった。思い切り頭を打ちつけて冷静になりたかった。 アリスの指は最後の糸を作り上げた。 ――これで、私の目標が 「アリス!」 「ッ!?」 全身をビクリとさせ顔を上げる。そこには身を乗り出した魔理沙の顔が目の前にあった。 体の震えもピタリと止み、しばらく硬直した姿勢で魔理沙と真正面から向き合う形になる。 先に口を開いたのは魔理沙だった。 「…大丈夫か?顔色悪いぜ」 「ぁ……ぅ……」 「何度呼んでも反応が無かったからな、熱でもあるんじゃないのか?ボーっとするなんてらしく無い」 アリスは口をパクパクさせるだけで思うように声を出せなかった。 ハッとして手元を見ると、集中力が一瞬途切れたため編み上げた魔法の糸は霧散していた。その事に安堵した。 瞬間、ドッと疲れが全身を襲った。全身に嫌な汗をかき、本当に熱でもあるのでは無いかと思うほど頭が痛くなった。 その様子に気づいた魔理沙が席を立ち、アリスの横につく。 「おいおい、本当に大丈夫か?」 アリスは酷い自己嫌悪に陥っていた。 自分が今何をしようとしたか。こうして、自分を心配してくれている人に何をしようとしたか。 最低だ。 「ごめん、魔理沙。本は貸すから…今日は帰ってもらえるかしら」 「? 構わないが…平気か?いろいろ」 「ごめんね。大丈夫、ちょっと疲れちゃっただけだから」 「そうか。睡眠妨害に来てなんだが、しっかり休めよ」 「…うん。ありがとう、魔理沙」 そう言うと魔理沙はいつもの笑顔で帰っていった。 最後のありがとうは、止めてくれてありがとう、だったのだが恐らく伝わってはいないだろう。伝わるはずは無いのだ、魔理沙は気づかなかったのだから。一時的なアリスの狂気に。 「…気づかれないで本当に良かった」 そんな保身的な考えを持ってしまう自分を更に自己嫌悪、アリスはベッドに横たわった。 大分冷静さを取り戻し、改めて視線だけをテーブルの上に置いてある本に向けた。 世の中には自分の想像もつかないような魔法の書かれた本がある。視線の先の本もその一つだ。 本当のことを言うと、魂を抜くと言う事が書いてあるのがわかっただけで抜き方まではわからなかった。なのであのままでも魔理沙が物言わぬ人形になってしまうことは無かったはずである。 でも、怖かった。 魔理沙を人形にしてしまおうと言う考えを持った自分が怖かった。全く確証の無い話だが、魂を抜く事さえ出来そうであった。やり方もわからないのに、どうやって?そんな疑問は必要無い。ただ出来そうだっただけなのだから。 冷静さを取り戻しても考えはまとまりやしない。頭痛も引いたのでアリスは立ち上がり、古い本をパタンと閉じた。 そこで一つ思い出した。 「これ、どうしようかしら…」 魔理沙曰く紅魔館のものらしい。本人は借りてきたと言っているが、彼女に限ってそれは無いだろう。 時計を見ると、日が沈むのに後二時間ほど。思ったより時間が経過していたことに驚いたが、アリスは本を抱えて家を後にした。 * * * 霧の湖を越え、紅魔館が見えてくるとアリスは地面に足を降ろした。夕方にもなると湖の上を飛ぶのは冷えるので、少し歩いて体を動かしたかったからだ。 やがて物々しい正面門が見える。門の前には妖怪が一匹、アリスに気がつき視線を向ける。 アリスは門番のところまで歩くと手に抱えた本を見せ説明した。 「これ、魔理沙がここから勝手に持ってっちゃったみたいだから返しにきたんだけど」 「あ、わざわざすみません。図書館までご案内いたしましょうか?」 「ううん、いい。何回か来てるから場所は知ってるわ」 そういいあっさり通してくれた。門番の存在価値について考えながらアリスは紅魔館を正面から入る。慣れた足取りで図書館に向かっていると、何匹かのメイド妖精が見えた。 メイド妖精達はアリスを見つけると、アリスの周りをくるくると回りながら人差し指を向けてきた。 「侵入者だー」 「侵入者だー」 「侵入者だー」 「わかってるなら捕まえなさいよ!」 新たに加わった声に対し、メイド妖精達は「あははははー」と笑いながら飛んでいった。意味のわからない妖精の行動に首を傾げつつ、新たな声の方向を向く。 頭を抱えたメイド長、十六夜 咲夜がそこに居た。 「…なんていうか、苦労してるのね」 「同情してくれるなら侵入なんてしないでよ…」 「侵入なんてしてないわ。正面から入ってきたもの」 「門番を倒して?」 「門番は快く通してくれたけど」 「……」 咲夜の瞳が赤く染まるのを見て、アリスは少し身を強張らせた。 「ほ、本当よ!この本を返しに来たって言ったら―」 「…わかりましたわ。もう、何処かの白黒みたいに厄介事起こさないでよね」 「起こさないわよ」 「わかってると思うけど、図書館はあっちね。正面門から入ったからにはお客様だからご案内するべきかもしれないけど、ちょっとやる事が出来ちゃったから」 「案内はいいってば」 そう言うと瞳を赤くしたままの咲夜は入り口の方向に歩いていった。 やる事、ね…アリスは門番の安全を祈ってから図書館に足を向けた。 少し歩くと正面門の方から悲鳴が聞こえたので、祈りは無駄になったことを知った。 * 図書館の扉を開くと、何年かければ全て読めるのか検討もつかないほどの書物が視界を埋め尽くした。 規則正しく本棚に埋まるそれらは右も左も上も、どこまでも続いているかのような錯覚を覚える。 キョロキョロと首を動かし図書館の主を探すが、薄暗く広い図書館、何処にいるかなんてさっぱりわからなかった。 しばらく歩いていると、頭上から小さな声がした。 「本当にうちの猫イラズは…」 上を向くと、開いた本に目を向けたまま降りてくる図書館の主が居た。 すとん、と目の前に下り、本を閉じてアリスを見る。 アリスは持ってきた本をパチュリーに差し出した。 「今日はネズミじゃないわ。本を返しに来たのよ」 「貸した覚えは無いわ」 「魔理沙がうちに持ってきたのよ」 パチュリーは眉をひそめながら本を受け取る。 表紙、裏表紙を見てからアリスに向き直った。 「そう、それはごめんなさい。確かにここのだわ、読んだ事無いけど」 「…それ解読できる?」 アリスの言葉にパチュリーは本を開く。 パラパラとページをめくり、視線を本に落としたまま呟くような声で返す。 「少し時間をくれるなら解読するわ。一週間ぐらい」 「……」 アリスは迷った。この本を解読してもらえば、少なくとも何かヒントを得れるかもしれない。 何も書かれている事は人間を使ったものばかりでは無いだろう。 けれど、 「出来れば封印して欲しいわ」 「封印…?」 パチュリーは怪訝な顔でアリスを見る。眠そうに半分閉じた目は何処か睨んでいるようにも見えたが、アリスは怯まない。 真正面から視線を逸らす事なく続ける。 「そこに載ってるのは人の法じゃないわ」 「何よ、解読できてるんじゃない」 「……少し」 ふうん、と一声。パチュリーが人差し指をくるりと回すと、何処からか椅子とテーブルがふよふよと飛んできた。テーブルに本を置き、パチュリーは座る。向かい合った席の椅子が勝手に引かれるのを見て、アリスも腰を降ろした。 テーブルの上には光の精霊が浮いていて、それなりの明るさを保っている。しかしパチュリーは本を開くことなく質問を開始した。 「魔理沙が持っていって貴女に預けるぐらいだから、これは人形に関する本なのね?」 「ええ」 「貴女はこれを読んだ。そして不快に思った」 「……」 「貴女が解読した限りでいいわ。どんな内容?」 アリスは迂闊に腰を降ろしてしまった事を少しだけ後悔した。 相手が椅子を勧めて、それに答えて座ると言う事。それは問答に受けて立つと言う事だ。あそこで座らなければ恐らくパチュリーも何も言わなかっただろう。 後悔しても遅い。アリスは簡単に説明をした。 人間の魂を抜き、人形に移す法。さらに空になった人間を人形として扱う法。ただ、魔理沙で試そうと考えてしまった事は言わなかった。 パチュリーは質問一つせず最後まで聞き、聞き終わると本に視線を落とした。 「…なるほど、外道の法ね。でも―」 パチュリーの表情は全く変わらなかった。 「時には人間も材料にする。魔法使いとしては別におかしい事じゃないわ」 「…!」 アリスは睨むかのように見据えた。しかし視線を落としたままのパチュリーに、その訴えは届く事は無かった。 「まだ若いわね、アリス・マーガトロイド」 スッ、と本を手に持ちパチュリーが立ち上がる。椅子を勧めた者が立ち上がったのだ。問答はこれで終りということだろう。 アリスも無言で立ち上がる。そして口にするつもりは無かったが、言葉が自然と漏れてしまった。 「私はそれを読んだ時、試してみたい衝動に駆られたわ」 「?」 パチュリーが振り返る。一度漏らしてしまった言葉は、自分でも驚くほどすらすらと続いた。 「やっちゃいけないってわかってるのに、体が言う事聞かないの。その時丁度本を届けてくれた友人が目の前にいてね?あろうことか、その友人で試しちゃおうって…」 「…」 「でも私はっ…!人を…友人を殺すために魔法使いになったわけじゃないわ!!」 パチュリーは本を持ったまま黙って聞いていた。いっそ涙を流して恥を晒してしまおうか、そうすれば今よりは大分楽になれる。しかしアリスの予想を反し、涙は流れず恥を晒す事は無かった。 しかし大声を出した分は楽になれた。そして自分で何を言っているのか訳が判らなくなった。 こんな事をパチュリーに言うのは的違いなのでは無いだろうか。 …そもそも自分は今何を言った?感情的になり吐いた言葉、アリスはすでに何を言ったかさえ覚えていなかった。 「…ごめんなさい。ちょっと、なんか…自分でもよくわからない」 「そのようね。おかえりなら、入り口まで小悪魔に送らせるわ」 「案内は別に…」 「いいから」 パチン、とパチュリーが指を鳴らすと図書館の奥のほうから小悪魔が飛んできた。アリスはパチュリーに一度お辞儀をし、図書館を後にした。 * パタン。 小悪魔とアリスが出て行き、図書館の扉が閉まる。 あのアリスが声を張り上げるほど錯乱するとは思っていなかった。相当追い詰められているのだろうか? 恐らくは友人とやらを手にかけてしまいそうになった自分に腹が立っているのだろう。 「その点どうかしら、友人さん」 「……」 アリスと向かい合って座ったテーブルから少し離れた本棚の裏、魔理沙は視線を落としたまま無言だった。 ふぅ、と溜息を一つ。魔理沙は帽子を深くかぶり直し表情を隠す。 「どの点だかわからないぜ」 「あら、貴女でも責任を感じる事があるのね」 「責任…」 「気まぐれで持っていった本が、あんなにも友人を追い詰めてしまうなんて?」 「…そうだな」 魔理沙にしては元気の無い、呟くような返事が返ってくる。 それもそうだろう。少なくとも彼女はアリスの手助けになるんじゃないかとあの本を届けたのだ。それがあそこまで精神的に追い詰めてしまった。 アリスはアリスで、その法を使い魔理沙を殺してしまうところだったのだ。互いに気まずい事極まりない。 ふと帽子を直さぬまま、魔理沙が本を指さしてきた。 「それ、どうするんだ?」 「そうねぇ…」 本を開きパラパラと読んでみる。本気で解読にかからないと全く読める気がしない。 しかしその本を眺めていくと、一瞬眩暈を感じた。その感覚にパチュリーは少し思考を巡らす。 パチュリーは本を閉じ、魔理沙の手を取った。急に引っ張られた魔理沙は前のめりになり倒れそうになる。 そのままパチュリーは魔理沙と手を重ね、更にその手を本に重ねた。 「何を―」 「魔力を少し借りるわよ」 バチン!と稲妻のようなものが走ったかと思うと、本には陣が引かれていた。 魔理沙は自分の掌と陣を交互に見ながら眉をひそめる。 「何をしたんだ?」 「これで私と貴女の魔力を足しても、この本は開かないわ」 パチュリーの言葉に魔理沙は顔を上げる。何食わぬ顔で、いつもの眠たそうな表情のまま言葉は続いた。 「この本を開くには、…そうね、後一人の魔法使いの魔力が必要だわ」 「封印したのか…?」 「私、人形の法には興味ないのよ」 そう言い、パチュリーは本を浮かべ、図書館の何処かへ飛ばした。 * * * 頭にナイフを突き刺したまま倒れている門番を背中に、アリスは帰路についていた。 本日何度目かの自己嫌悪。 おかしい、自分はもう少し冷静な魔法使いだったはず。こんなにも取り乱してしまうなんて…。 冷静になり、叫んだ内容を思い出す。恥かしくて死にたくなった。 しかし間違った事は言っていない。あそこでパチュリーに怒鳴ってしまった事は全く意味の無い事かもしれないが、他人を犠牲にしてまで完成させたいとは思っていない。 本当に? 「………本当よ」 自問自答、口で答えられる事が事実だとしたら、昼間行ってしまったこともまた事実。自分で自分の気持ちを和らげる程度の事しか出来ない。 今の自分の後悔からしてそれは嘘では無いのだろう。そして魔理沙が自分の中で随分と大きな存在になっていることを実感した。 「明日、謝ろう…魔理沙に…。パチュリーにも」 アリスは謝るということが苦手だった。 とても子供じみたことであるが、自分から謝ると言うのはプライドを傷つける行為であると思っていたからだ。思って”いた”わけであり、今では自分の非を認めれば素直に謝れるようになった。…少なくともアリスはそう思っている。まだつまらない所で意地を張ってしまう点もやや目立つわけなのだが。 しかし謝ると決めると予想以上に気持ちが楽になった。今自分に出来る最大のことは、自分の行った事を素直に認めて受け入いれることである。 謝る事がプライドを傷つける?そんな事は無い。自分の過ちを認めずいつまでも引き摺る方が無様である。 何て謝ろうか考えているうちにアリスは自分の家の前にたどり着いていることに気がついた。 それにしても今日は本当にいろんな事があった。一晩眠りにつけばまともな謝罪の言葉は思い浮かぶだろうか? ガチャリ、 扉を開き自分の部屋を目指す。 ふと客室の扉が少しだけ開き、光が漏れている事に気づく。 「……?」 人形たちしかいないはずなのに何故?アリスは上海人形を近くに寄せ、警戒しながら客室に近づく。 そしてドアノブを掴み、一気に開ける。そこには、 「あら、ただいまも言わないで帰宅するのね?」 「……何であんたがいるのよ」 客間の椅子に座り優雅に紅茶(恐らく人形が入れたのだろう)を飲んでいたのはスキマ妖怪だった。 コト、と紅茶のカップを置くと、アリスの質問に答えずに胡散臭い笑みを浮かべて口を開いた。 「家に帰ったらただいま、と言うものよ。家から出るときは行って来ます」 「言ったって意味が無いじゃない」 「あら、それは言ってみないとわからないものよ。ほらほら」 「……………ただいま」 「おかえりなさい」 はぁ、とアリスは溜息をつく。それに対し紫は幾分上機嫌であった。 アリスは上海をテーブルの上に座らせ、自分も紫の向かいに座る。 「…それで、何か用なの?私疲れてるからもう寝たいんだけど」 「つれない事言わないでよ。寂しいじゃない」 「おやすみなさい」 「待って待って」 「キャッ!?」 立ち上がろうとしたアリスの肩に紫の手が置かれる。 テーブル越しに手が届くわけが無いのだが、スキマを使えば体制を崩すことなくアリスを押さえる事が出来る。アリスからしてみれば何も無い空間から突然手が生えてきたのだから心臓に悪い。 迂闊にも悲鳴をあげてしまった事に頬を染めながら、そっぽを向いて早口に呟く。 「用があるなら早く言ってよ」 「ちょっと貴女に聞きたいことがあってね」 「…私に?」 紫はふといつもの笑みを消した。真顔を見るのは初めてではないかとアリスは密かに思いつつ、何を質問されるのだろうと身構える。 紫は上海人形に目を向けながら言った。 「貴女は私の式神をどう思うかしら」 「え?…式神って、あの九尾の狐と化け猫?」 「そうよ。…正確に言えば橙は私の式神じゃないけれど」 「どう…って言われても…」 「あら、あの子たちこそ貴女の求めるものだと読んでいたんだけど」 「な、なんでよ。式神なんて欲しくないわ」 紫の言いたい事がいまいちわからず、アリスは戸惑う。 そこで紫の表情に笑みが戻った。しかし目は笑ってなく、何処かアリスを試すかのような目であった。 「あの子たち、私の命令には忠実よ」 「そりゃ…そうでしょうね」 「貴女の求める自分の意思を持つ人形、それは式神とは何が違うのかしら?」 「!? そ、そんなの全然違うじゃない!」 「何が違うのかしら」 アリスは一瞬言葉が詰まり、目の前のスキマ妖怪に気圧された。 相変わらず口元は綺麗な笑顔をしているが、目は深淵、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな…そう、スキマのような瞳。 咄嗟にアリスは視線を逸らす。恐怖とは違う危険信号を体が発した気がした。 「そんな…命ある生物を人形だなんて…」 「あら、じゃあ意思はあるけど命は無いものが欲しいの?とても難しい事を言うのね」 「う…」 二の句を告げなくなり、アリスは黙る。 そこに紫はやっといつもの胡散臭い笑顔に戻った。目もアリスの全てを奪い取るような目では無くなり、アリスは安堵する。 紫は楽しそうに上海人形を見る。 「よく出来たお人形さんだわ」 「あ、ありがとう…上海人形は私も気に入ってるわ」 「貴女、人形を操る術を無意識にまで熟練しているそうね?」 「え、ええ」 「それは本当かしら?この子たち、もうすでに立派な意思を持っているんじゃない?」 「そんなこと…無いわ。魔法の糸を外せば、ただの人形になるもの」 「…いいこと?元々命あるもの以外は、命無くして意思はありえないわ」 紫が立ち上がり、上海人形を両手で包み込むように抱き上げた。 突然人形を破壊するような真似をするようには見えなかったのでアリスはそれをただ見ている。 それよりも紫の言葉の続きが気になっていた。 「けれど命は与える事が出来る。このお人形に魔法の糸と言う命を与えるとすると、どうかしら?」 「だ、だから魔法の糸を操ってるのは私だってば!ある程度パターンを作れば自動化出来るけど…しばらく命令しないと動きは止まっちゃうのよ」 「それは魔法の糸の効力が切れてしまっているからじゃないかしら」 「そんなの屁理屈じゃない」 「あら、そうかしら?でも長年愛され続けた”物”はどんな形でも命を貰う事が出来るわ。お茶碗だって命を貰えるんですもの」 そう言うと紫は上海人形を机の上に置きなおす。次に指を鳴らすと、彼女の後ろに大きなスキマが現れた。 紫はそこに半身を入れ、手をひらひらと振る。 「私が聞きたくて言いたかった事はこれぐらいよ。じゃ、研究頑張って…」 「待って、私も質問があるわ」 紫はキョトンとし、振っていた手を下ろした。 まさか質問されるとは思っていなかったのか、少し楽しげな顔でスキマから出てくる。 何でも聞くといい、そんな顔だ。 反対にアリスは難しい顔をしていた。 「逆に…紫は九尾の狐のこととか、人形のように思ってるの?」 その問いに紫は首を傾げた。先の質問で式神と人形のことを比べた時に持った疑問だろうか? しかし紫は笑顔のまま首を横にふった。 「まさか。式神だと思ってるわ」 「…さっき意思を持った人形は式神だ、みたいなこと言ってたけど…その、同格みたいな」 「私の中で式神と人形は価値観が全然違うわ。例え話って言うのもあるけれど、何より私にとって式神は今一番大事よ」 「一番…」 「だってあの子たちいないとご飯もお掃除も困るもの」 アリスは思う。自分も人形たちがいないと困る。両方自分で出来る事であるが、そう…寂しい。 紫の言いたい事が段々わかってきた気がして、アリスはつい上海人形を抱き上げた。 そんなアリスを見ながら紫は続ける。 「貴女もし自分が人形だとしたら、嫌かしら?」 「それは…」 「私は自分が式神だとしたら、それはそれでいいと思ってるわ。貴女が式神をどう思ってるかはわからないけど、私は藍と橙を愛してる。親バカだけど、あんなに出来た子の藍が式神なんですもの。私だって誰かの式神かもしれないわ。それが嫌な事かしら?」 「……」 「貴女は人形を愛してるようだけれど、何処かで一線を引いてしまっている。きっと道具って言うイメージが強いんじゃないかしら?」 紫の言葉は優しかった。だからアリスは反論しない。 気がつくと上海人形を強く抱きしめていた。俯いたまま、顔を上げることが出来ない。 「けれどもう貴女の中では充分に掛け替えの無いものになってるでしょう?だったら――」 紫はアリスの胸の中の上海人形を指差す。 「そろそろ心から受け入れてあげてもいいんじゃないかしら」 アリスはコクリと頷く。声を出す事が出来なかった。 自分が愛しているはずなのに、最後の最後で何処か受け入れられなかった事を紫に指摘され、悔しいわけではなく情けなく感じていた。 自分が何よりも求めていたものから目を逸らしまでして、今まで何をやってきたのだろう。 「私…今まで、目…背けて来た……上海たちから……。酷い事、した…」 「あら、それは違うわよ」 え?とアリスは顔を上げる。目が赤く、俯きながら何度も拭っていた目元にはまだ涙が浮かんでいる。 紫は小さなスキマを作り出し、そこに手を入れる。 ひょいと手を抜き、その手に持っていたのはアリスが先日作り上げたオレンジ色のドレス。 それをそっとテーブルに乗せ、紫は微笑んだ。 「こんなにも素敵なドレスを作ってあげてるじゃない。私、藍に洋服なんて作ってあげた事無いわ」 「わ、私はそんなことしか出来ないから…」 「そんなこと?素晴らしい事だわ。可愛いドレスの嫌いな女の子はいないもの」 紫の言葉にアリスは上海を見た。そしてそのドレスを少しでも早く着せてあげたくなった。 そんなアリスを見て紫は再度大きなスキマに半身を入れる。 「さてさて、それじゃ今度こそ…」 「あ、紫!」 帰ろうとした紫をアリスが呼び止める。 まだ何かあったかな、と紫が顔を出す。 「あ…ありがとう…」 アリスの言葉に一瞬驚いたような顔になり、すぐ笑顔に戻る。 それは何処かいつもの胡散臭い笑顔ではなく、何処までも優しげな笑顔だった。 「どういたしましてー。おやすみなさいましー。白黒の魔法使いと、紫の魔法使いにも謝るのよー」 そう言い紫はスキマへと姿を消し、スキマそのものもすぐに消えた。 やっぱり全部見てたのか、と心の中で思いつつも笑顔で見送る。 アリスはもう一度目元を袖で拭い、上海とドレスを持って自室に戻った。 * 誰も居なくなった客間、一体の人形がフワフワと飛んできて紫の使ったティーカップを持つ。 カップを持ち、蝋燭を消し、扉を閉める。そして台所へ行く前に一度だけ、アリスのいる寝室に一礼した。 そしてそのままふわふわと台所へと消えていった。 * 朝、魔理沙はアリスの家の前をうろうろしていた。 いつものノリで来てしまったはいいが、気まずい事この上ない。果たしてどんな顔で会えばいいのか。 「私ながら、らしくないぜ…」 魔理沙は気合を一発いれ、アリスの家のドアノブを掴んだ。 ガチャ、 開けるとそこにアリスがいた。 「あ」 「あ」 アリスは丁度出かけようとしてたのか、体を扉の方向に向けたまま止まっていた。 魔理沙もドアノブを掴んだままの姿勢で止まっている。 なんとも気まずい中、魔理沙は頭の中が真っ白になりつつ口を開いた。 「か、鍵をかけないなんて無用心だぜ」 「…鍵かけると魔理沙が壊すからじゃない」 だらだらと嫌な汗を流しつつも魔理沙はいつもの調子を取り戻す事が出来た。何でも言ってみるものだ。 しかしそこからどうしたものか、うまく言葉が繋がらない。 次に口を開いたのはアリスだった。 「丁度、魔理沙の家に行こうとしてたのよ」 「…?なんでだ?」 「そ、それは…その…あ、謝りに……」 アリスの言葉に魔理沙は一瞬暗い顔になった。アリスが気づく前に自分で気づき、バレまいと無理矢理いつもの調子になる。 「謝られる心当たりがないぜ」 「魔理沙が無くても私にはあるの。その……ご、ごめん…」 「あ、あー…いや…」 ペコリと頭を下げるアリスに魔理沙は困り果てた。果たしてどうしたものかと。 ポリポリと居心地が悪く頭を掻いてみたりしていると、アリスは顔を上げた。 魔理沙が何かを言う前に、ツカツカと家を出ようとする。 「さ、次は紅魔館よ。パチュリーにも謝らなきゃ」 「あそこにも行くのか」 「ええ。迷惑かけちゃったからね」 「…ま、私も付き合うぜ」 「あんたが来ると門前払いされるじゃないの…」 「そんなこと無いぜ…って、上海いいの着てるじゃないか」 魔理沙が上海人形の着ているオレンジ色のドレスに気がついた。 アリスは上海が褒められた事が嬉しく、自然と笑みが浮かぶ。 「魔理沙にもドレスの良さがわかるのね」 「私だって普通の乙女だぜ。可愛いものは可愛いさ」 そんなやり取りの中、アリスは外に出て扉を閉めようとする。顔を上げると、家の中の人形が何体かアリスの方向を見てふわふわ浮いていた。 アリスはその光景を見たのは初めてだった。もしかしたら、出かけるたびに集まってくれていたのかもしれない。 意思、か。アリスは小さくそう呟いてから人形たちに向かった。紫の言葉を思い出しながら。 「行ってきます!」 アリスの声に人形たちは一斉にペコリと頭を下げる。 それに満足して扉を閉めた。 「いってらっしゃい、だとよ」 「魔理沙にも聞こえた?」 「そんな感じがしただけだぜ」 「ふふ、私には聞こえたわよ。しっかりと」 魔理沙と笑いあいながら、アリスはふわりと身を浮かせた。 上海人形をしっかりと抱きしめながら。 |
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